【落合】【嫌われた監督】プロ野球、落合元監督について

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落合元ドラゴンズ監督について


これまで、実際に直に話したことはありません。

無料講演会に行ったことしかありません。

でも、監督時代すごく好きな監督でした。
落合監督ユニフォームを買いました。

最近、落合監督時代の本がベストセラーになってます。


嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか (文春e-book)

落合元監督嫌いな人も多かったようですが、

好きな人も多かったようです。
いろいろ見たり聞いたりした内容を書いていきたいと思います。

元プロ野球選手が語る落合元ドラゴンズ監督について

川崎 憲次郎元投手の語る落合監督


『そのゲーム前、ショッキングなニュースが飛び込んできた。
「中日落合監督退任」
落合監督といえば自分がプロ野球選手としての最後の監督。
そして、思い出されるのが2004年の開幕投手。
それを言われたのが開幕の3ヶ月前。「2004年の開幕投手はお前でいく」。
投手としてこれ以上嬉しいことはなかった。が、
「3年間全く何もしてないピッチャーに開幕を任せていいのか?
他のピッチャーに申し訳ない」正直思ったが断る理由もなかった。
結果は2回途中でKO。それが現実、実力だった。その後、もう一度投げさせてもらったが、
結果はKO。その時も落合監督は「140Km出てるじゃないか!いい球いってるぞ、
もう一度だけ投げさせてやる」と笑みを浮かべながらピッチャー交代を告げた。
怒ることはしなかった。
. そして、本当にもう一度だけ投げる機会を与えてもらった。それが自分にとっての最後の
試合、引退試合だった。

10月2日、監督室に呼ばれ監督に直接
「もうドラゴンズはお前とは契約しない」と言われた。
「戦力外通告」。自分でも覚悟は出来てたので
「来る時が来たな」ぐらいしか思わなかったが、やはりショックだった。
その時も監督は「絶対に一人で決めるな!かあちゃんと一緒に決めてこい!」と。
そのまま家に帰ってかあちゃんにそのことを告げ、引退を決めた。
そのむねを監督に告げると
「とにかく人を呼べるだけ呼べ!オレがチケットを全部手配してやるから」
そう言ってくれた。

10月3日引退試合当日。なぜこの日だったのかというと、
もうすでにドラゴンズが優勝を決めていたということ。
名古屋ドーム最終戦。相手は古巣ヤクルト。条件が揃っていた。
そんな舞台を用意してくれていた。
その日のゲーム前のベンチ裏、自分は落合監督に写真を撮ってもらうようお願いをした。
快く引き受けてくれた。目を疑った。その監督の目に涙が・・・一緒に涙を流してくれた。
それを見て更に熱くなった。誰にも知られてない監督の一面だ。

それまでケガで試合に出れなかった古田さんまでも1番で出てくれた。
2番宮本、3番岩村。三者三振。オレのプロ野球人生がそこで終わった。
花束贈呈、ここまでは知っていた。が、ここからは全く知らなかった。
ゲーム中に両軍がベンチから出てきてくれてマウンド付近で胴上げ。
涙が止まらない。嬉しかった。本当に嬉しかった。
その後、ベンチ前で整列してくれていた両軍の監督、コーチ、選手に挨拶に行った。
そこでも落合監督は涙を流してくれていた。

この試合は一生忘れられない試合。「どの試合が一番印象に残ってますか?」といわれれば、
この試合をあげる。今、思い出しても涙が出てくる。
そんなゲームを作ってくれた落合監督には心から感謝しています。
これから、残りの試合悔いのないよう頑張って頂きたい』





前田幸長:本当の落合監督とは!?

皆さんこんにちはー、チョコです。

昨日の「GET SPORTS」見てくれましたか?

久しぶりのテレビ出演に、緊張しました。

ラジオと違って顔が出ますからね。

テレビ出演は確か、去年の探偵ナイトスクープ以来になるのかな?

昨日はかなりのハードスケジュールでした。

土曜日、日曜日と、僕は仙台で解説をしていました。

日曜日の試合が終わったあと、新幹線に飛び乗り東京へ。

そしてテレビ朝日での収録です。

収録の内容は、「プロ野球混戦セ・リーグ討論会!」です。

栗山さん、南原さん司会の下、広澤さん、川崎、仁志、そして僕。

この6人でこのあとセ・リーグがどんな展開になるのか、意見をぶつけ合ってきました。

でも、本当に分からなくなってきましたよね。正直、ここまで混戦になってしまったら、

解説者だって困ります(笑)

そんな中で意外だったのが、落合監督の話になったとき。

川崎の引退試合の時に、大粒の涙を落合監督が流していたなんて。

全然知らなかったです。

あれはたぶん、栗山さんも、広澤さんも、仁志も、知らない情報だったんじゃないでしょうか。

落合監督はそういう一面をほとんど表に出さないですからね。

討論会の中では話さなかったのですが、あの川崎の話を聞いたときに、実は僕も、落合監督に言われたセリフを思い出していました。

僕が引退したすぐあと、ソフトバンク対中日のオープン戦に行ったときのことです。

ロッテ、中日、巨人と同じ道を渡り歩いた後輩として、落合監督に挨拶に伺ったとき、「何でうちのテストを受けに来なかったんだ?」って言われたんです。

僕も当時、現役続行を望んでいました。

複数の球団に打診をしていました。

でも、中日は僕の中には無かったんです。

僕はFAで出て行った人間だし、最初から獲ってくれないだろうと決めつけていたんですよね。

だから、中日とは何の話もしませんでした。

昌さんからも「うち来いよ。」と言ってもらったりしていました。

ただ、そうは言っても無いだろうと。

落合監督がそう言ってくれたとき、「返す言葉もありません。」としか言えませんでした。

「オマエが来てたら、うちのブルペンももっと活気づいてたと思うよ。」こんな言葉までもかけてくれました。

接点の少ない僕なんかのことを、そこまで気遣ってくれていたなんてね(涙)

引退を決める前に落合監督と話ができていたら、ひょっとしたら最後に中日のユニフォームを着ていたかもしれない。

そんな落合監督の一面を、僕も思い出していたんです。

話が長くなってしまいそうなんで、収録中はぐっとこらえましたけどね(笑)

マスコミに対しては口数が少なく、あまりいい印象を持たれていない監督。

感情を表に出さないから誤解されやすい部分も多い監督。

川崎や僕に見せた落合監督の一面を知っていると、どこまでが本当の落合監督なのか分からなくなります。

人は誰しも、万人に愛されるということは難しい。

味方もいれば敵もいる。

最後まで、どれが本当の落合監督だったのか、プロ野球ファンの皆さんにとっては謎に包まれたまま去って行くことになるかもしれません。

でも、川崎と僕の中では、人情に厚い落合監督が、本物であることは間違いありません!

そんな一面を持った監督だということを、是非皆さんにも、知っておいて欲しいと思います!

まとめ



川崎 憲次郎元投手の語る落合監督 については、youtubeでも見たことがあります。

すごく感動的な話で何回も見させていただきました。

しかし、前田元投手の話は知らなかったです。

ぶっきらぼうにテレビの画面からは見えるが本当はすごく温かい方なんだなあ、って思いました。

マスコミが落合監督時代すごく叩いた記憶があります。

何も話さないから・・・しかし、それは、部下である選手を守るための手段だったようです。

上司が部下を守る、それは当たり前のことかもしれませんが、それができない人が多い中落合元監督はできたのは素晴らしい上司だと思います。

監督としての手腕は申し分のない方ですので、

もう一度監督のユニフォームを着てほしいなと思います。

※2006年、タイロンがグランドスラムを打って、落合監督が涙を流して喜ぶシーンが感動的でした。





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