透析について思うこと
透析をして、しばらくして思った記憶を書いてみたいと思います。
透析はそれくらいの気持ちになるものです。
腎臓に異常が見つかったら早めに治療、食事療法などをお勧めします。
透析は週に3回、月、水、金と透析。
しかも一日4時間という長さ。
月水金は年中無休。
※タヒぬか、移植するまでは
しなければ死んでしまうとはいえ、
5か月もすると飽きてくる。
飽きてくるというか、
しなければならないが、
その時間は完全に拘束され動けない。
週に3回、一日4時間やっても本当は毒素なんて完全には抜けない。
毎日短い時間、それか月水金でも長時間、7時間とかやらないと全部ではないがある程度の毒素は抜けないんだそうだ。
なんかそれ考えると、透析なんて・・・って思えてくる。
やはり移植じゃないと、自由、健康はつかめないのかな
「透析するくらいなら死んだ方がまし」
僕は透析をする前にこう思った。
何をばかなことを、と思う人もいるだろう。
健常者の方は、また、透析患者でも強い方は。
しかし、透析は先の見えない、
決して終わりのないもの。
真っ暗な洞窟に入って出口を探しもがいている。
洞窟の中の地盤が崩れ、あらゆる個所をけがをしながらも彷徨っている、
透析患者はそんな感じ。
普通の人には、世の中には治らない病気の人もいるじゃない、とか言う。
しかし、なぜ比較の対象が不治の病の人なのか?
普通の生活している人と比較しないのか?
じゃあ、なぜあなたは普通の生活しているの?
と問いかけたくなる。それでも同じことが言えますか?
先日、ある知人の方、僕と同じ透析患者の方が、
もう透析は嫌。機械に生かされるのは嫌、と言っていた。
長く透析するとそのような気持ちがわかる。
僕も透析しているから・・・
移植という治療を受けなければそこから抜け出せない。
がんばれ、ということを簡単に口にはできる。
しかし、本人にとっては、何を頑張ればいいの?
機械につながれ生きることしかできないのだから。
透析は前の見えないもの。
この方の言葉を聞いてそう思ってしまった腎不全を悪化させないためにも、
食事療法が必要。
透析になってからでは元に戻らない。
透析は、週に3回、5時間ほど。
これは、マストです。
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